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ある日の取材中、お店に貼ってあった「Codicia」のポスターが、ふと目に止まった。誰かな? と思いながら見ていると、「このポスターの写真、俺が撮ったんだよね。なにか機会があれば、よろしく!」と、カメラマンに言われてたのが、筆者とNeneさん(以下、敬称略)の出逢い。正確にいうと、この時点ではまだ逢ってはいないが・・・ 。
しばらくNeneの情報を仕入れるべく、たどり着いたのが彼女のブログだった。ほぼ毎日、更新されているブログから、勝手にNene像を創り出す。すぐに取材のアポイントメントを取り、数日後、彼女の所属事務所へ取材に伺うと、ドアの向こう側で、Neneとプロデューサーの半田氏(以下、半田P)が出迎えてくれた。Neneの第一印象は「ポスターとだいぶん、雰囲気が違うな」だった。
筆者の勝手な想像で作り上げたNene像は、ポスターの印象から、ちょっとCOOLな女性をイメージしていたが、実物は、かわいらしさと、ちょっとしたカッコ良さを感じた。そして、人前に出る職業の人が必ず持っていると言っても過言ではない、特有のオーラもしっかりと感じた。
シンガー・Neneの誕生は今から4年前、半田Pと某スタジオ代表が旭川で主催した、ヴォーカルオーディションだった。半田Pのコンセプトであった「歌って踊れるシンガー」として、230名以上の応募の中から見事合格。半田Pは、「歌手なんだから歌が上手なのは当たり前。歌唱力よりも、どれだけ自分をアピールできるかを見ていた」という。オーディションでは、目立ちたいという理由から「タイタニックのテーマ」を選曲したNene。さらに、アピールタイムがあった訳でもないのに、突然、ステージで踊り始めたそうだ。一次審査の段階から、Neneに興味を持っていたという半田Pは、この積極性とステージ上でのビジュアルが、もしかしたら伸びていくのではと感じ、この瞬間にシンガーNeneの卵が誕生したのである。
合格の瞬間の感想は?
「ついに私の時代が来たな(笑)」だそうだ。 半田Pの思惑を知っていたわけでもないのに、自分をいかにアピールするかを考え、オーディションに挑んだNeneとのテーマが一致し、ふたりを導き合わせた結果に、人と人の出逢いは、偶然ではなく必然なのかもしれないと筆者は感じる。
その後すぐに、オリジナル曲を2曲制作し、その曲で本格的なボイストレーニングに入った。小さな頃にピアノを習っていたNeneは、譜面通りに歌わなければならないものだと思っていたが、「好きに(楽譜を気にせずに)歌ってみて」と言われ、当時は少々、困惑していたという。
4ヶ月ほどのトレーニングを経て、待望のファーストシングルをリリースした。「ちょっと早いかもしれないけど、自由にできるのは制約の少ない、インディーズの時だけだと思って」と半田P。これまで、中央でメジャーアーティストに楽曲を提供してきた半田Pにとっても、短期間で、しかもインディーズという形でのリリースは随分と苦労であり、旭川市内のショップで販売してもらうのが限界だった。それでも、「自分も一からのスタート。一緒に成長していきたい」と思い、初心に帰った気持ちで、またプロデュースの仕事に携わってきた。
店頭に並んだ自分のシングルを見て、「アーティストとして実感が沸いた」Neneは、元来、目立ちたがり屋の性格だと自己分析する。当時、まだ高校生だったNeneのデビューは、当然、学校でも話題になった。知らない先輩や後輩にも声を掛けられ、時には「歌ってみて」と言われて、その場で気軽にライブを始めることもよくあったそうだ。

codicia

百年の孤独
現在は、市町村のお祭りなどからのオファーでステージに立つほか、毎週、金曜日と土曜日の19時から、大雪地ビール館でライブを行っている。このライブでは、オリジナル曲のほか、60年代以降の日本のポップスもカバーし、幅広い世代に楽しんでもらえるステージ構成となっている。大雪地ビール館でのライブは、今年で3年目を迎え、当初は食事を目的で来店しているお客の前でのライブに、戸惑いを隠せなかったという。しかし、大きなステージとはまた違った、お客さんとの近い距離感や、生の触れ合いが勉強にもなり、楽しさでもあると感じている。今では、地元のファンはもちろん、道内各地からNeneライブを目的に、多くのお客が来店するようになっている。
Neneさんの最大の魅力である歌って踊る姿は、やはり“ライブ”でこそ感じることができるはずである。旭川から北海道のローカルスター、そしてメジャーへ羽ばたき、真のスターへと成長していく姿を、今から目に焼き付けておくべきであると筆者は感じた。
文/編集部 袴田真樹
●所属事務所 gf music 旭川市忠和5条1丁目1-14
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